『……本当にいいのかい?』
『お姉様が悪いんですよ…私の気持ち、受け取ってくれないから』
『もしかしたら辛い思いをする事になりますよ?』
ぼくの頭の中で声だけがこだましている。
声だけは聞こえるけど、真っ暗。
次、目を開けた時、ぼくは変わっているだろう。
そして、彼はそんなぼくを受け入れてくれるのだろうか……
「完了したよ、とりあえずまずは目を開けてみて」
聞き慣れた声…これは彼の父親の声だ。
「はい…」
ぼくは不安と期待の気持ちで押し潰されそうな心を無視して、その声に従うようにゆっくりと目を開いた。
「大丈夫…そうかな?」
ぼくが目を開いて最初に飛び込んだ光景は、見慣れた研究室でぼくを心配そうに見つめている彼の父親の姿だ。
「えっと……今起きます…」
ぼくは寝たままの体をいつものように起こそうとするが、なんだかとても重く感じてなかなか起き上がる事が出来ない。
「無理しないで…まだ新しい体に頭がついてこれてないだけだから、これは時期に慣れるはずさ」
彼の父親はぼくに向かって優しく微笑む。
その顔は彼にそっくりでなんだか胸の辺りが苦しい感じがした。
《カチャ》
「お兄様、失礼します…様子はどうですか?」
扉が開くような音がして誰かがこの部屋に入ってきた。
その声はぼくにキッカケをくれた女性のものだった。
「ルセルさん…本当にいいんですか…?」
ぼくの側へ歩み寄ってきた女性は、とても自然に悲しいような困ったような表情をしている。
「覚悟は出来てます…ぼく、これでどんな結果が待っていても後悔しないと決めていますから」
ぼくの心はもう決まっている。
そして、もう戻れない。
ぼくは、その覚悟を伝えるためにまだ重い体をゆっくり起こした。
「私たちと人は違うんです…それだけは忘れないようにして下さい」
ぼくを真剣な顔で見つめそう伝える女性は、それだけは念を押すように何度も話した。
「レイニー、ルセルちゃんが無事なようだから僕はそろそろ会議に戻るよ」
彼そっくりの父親は脱いだ白衣をデスクに投げると、慌ただしく研究室を出て行ってしまう。
「分かってます…ここからは、ヒューマノイドである私が色々あなたに教えないといけないようですからね」
扉の方を見ていた女性…レイニーさんは、彼の父親が消えるとぼくの方に向き直り微笑んだ。
「神姫の時とはだいぶ違いますよ、ルセルさん…そして、私は厳しいです」
なんだかちょっと怖い気もしたけど、ぼくのためを思ってしてくれるというのだからここは思い切り甘えてみようと思う。
「こんなぼくですが、よろしくお願いします」
僕の目には今まで当たり前だった景色が、急に小さく見えるので頭が少し混乱していたがしっかりと頭を下げる事はできた。
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「悟さま、ご夕食の準備が整いました」
メイド服をきっちり着こなしたレイニーさんが、パソコンと睨めっこしている彼にそう告げる。
ぼくがぼーっと彼の背中を見つめていると、レイニーさんがぼくの背中を押して前に出した。
「わ、わわっ…!」
まだこの体に慣れていないぼくはその勢いで転びそうになるが、レイニーさんの手によってそれは防がれた。
「悟さま、新しいメイドが入ったので紹介します」
気をつけて…と小さく耳打ちするレイニーさんに、すみませんと小さい声で謝るぼく。
そんなやり取りを知らない彼は、ゆっくりと椅子を回してぼくらの方を見た。
「この子が新しいメイドの…」
レイニーさんに肘で突かれ、慌ててぼくは答える。
「えっと……流瀬 梨乃…です」
ぼくはレイニーさんに付けて貰った偽名を名乗ると、深々と彼に頭を下げた。
今まで彼にこんな風に接する事はなかったから、ものすごく緊張する。
「可愛い子だね、白い髪かぁ…もしかして、ヒューマノイド?」
彼の鋭い言葉にもうバレてしまったのかと焦るぼく。
そんなぼくとは違って冷静なままのレイニーさんは、落ち着いた声でこう答えた。
「白い髪は珍しいかもしれませんが、彼女はちゃんとした'人'ですよ…悟さま」
レイニーさんの言葉に驚いたような顔をした彼は、慌ててぼくの前にやってきて頭を下げた。
「失礼な事を言ってしまってごめん…あまりに君が人間離れした美しさをしているものだから…とにかく、これからよろしく」
そんなキザな台詞を吐くようになった彼に、ぼくの頭は沸騰してしまいそうになる。
「あ…え、えっと…」
ぼくは高鳴る心を抑えようと必死に堪えながら、出されたままの彼の手を握る。
「……よろしく…お願いします…」
まさか彼とこんな風に手を握り合う事が出来るなんて…
ぼくの心は嬉しさと照れと緊張で落ち着かなくなっていた。
「では、悟さま…お仕事のキリがいいのなら、ご夕飯にしてしまいましょう」
「そうだね、ちょうどいい所だったからこの辺りで終えて夕飯にさせてもらうよ」
何だか二人の声がとても遠くにあるように聞こえる。
ぼくは頬が熱くなっているのを両手で感じながら、その場に立ち尽くしていた。
先ほどからぼくの首をくすぐっているセミロングの髪は、ぼくがもう神姫ではないという事をしっかり示していた。
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