「どうもこんにちは~悟くんはいますか?」
オーベルジーヌ社玄関口にて、若い女の子の元気な声が響く。
「こんにちは、ちまりさん…悟さまは現在はお取引先の会社の方へ行かれてまして…」
【ちまりさん】という名前を聞いてぼくの心はびくりとする。
レイニーさんはちまりさんに対して、とても申し訳なさそうに応対している。
「いえ、大した用ではないのでこちらこそ申し訳ないです」
にこっと微笑みながらそう言うちまりさん。
その微笑みは華のように綺麗で、きっとぼくには真似出来るようなものではない。
「あ、こちらが悟くんが言ってた新人さんかな…初めまして、悟くんの幼なじみのちまりです」
ちまりさん達のいる玄関口から少し離れた所で掃除するぼくに、ちまりさんは優しい笑顔で声をかけてきた。
「あ、えと…流瀬梨乃です…よろしくお願いします」
ぼくが緊張した面持ちでぺこりと頭を下げると、ちまりさんはぼくにもう一度ふわっとした優しい笑顔を向けてくれた。
「ちまりと同じくらいの年かな…よろしくね、梨乃ちゃん!」
ギュッとちまりさんに抱きつかれてしまい、ぼくはどうしたらいいか分からず固まる。
「あら…流瀬さん、お友達が出来たみたいでよかったじゃないですか」
レイニーさんもぼく達の様子を見ながら、にこにこ微笑んでいる。
「こんなに可愛いお友達ができて、ちまり嬉しいな…梨乃ちゃん、ちょっとお話ししてもいい?」
「流瀬さん、お掃除はそれくらいでいいですから、お客様のお相手を…」
「は、はい…」
何だか色々と複雑な気持ちになるけど、そう言われてしまえばぼくには断る事など出来なかった。
・
・
・
「ここが悟くんが仕事してる机かぁ…何だか物がいっぱいでごちゃごちゃしてるね」
ちまりさんの要望でよく彼が仕事をしている、研究室へ彼女を通してあげた。
楽しそうに彼の椅子に座るちまりさんを見ていて、ぼくの気持ちはさらに複雑になった。
「美味しいかどうか分かりませんが紅茶です…どうぞ」
ぼくは用意した紅茶をちまりさんに手渡す。
「わぁ~ありがとう! 梨乃ちゃんはすごく気が利くんだね!」
ふうふうと冷ましながら美味しいとちまりさんは、ぼくの煎れた紅茶を飲んでくれている。
「お客様に最大限のおもてなしをするのが、私たちメイドの仕事でもありますから…」
「ちまりはお客様じゃないよ、今は梨乃ちゃんのお友達だよ?」
ぼくが真面目に答えれば、ちまりさんはこんな風に笑顔で答える。
逆にぼくは人懐っこいタイプではないから、ちまりさんのような人はどう対応したらいいか分からなくなる。
「………」
「………梨乃ちゃん、聞いてもいい?」
「…はい?」
ぼくはどう答えたらいいか困っていると、先程まで笑顔だったちまりさんの表情が急に真剣なものになる。
「……梨乃ちゃんは好きな人はいる?」
「…え?」
ぼくが答える前にこんな質問がくるから、心臓が飛び出してしまうかと思った。
「ちまりね…悟くんの事が好きなの…ずっと昔から…」
「………」
そんな事はとうの昔から知っていた事実。
でも、こうして本人の口から聞かされるとどうしても心の余裕なんてなくなってしまう。
「でも、悟くんってああだから、神姫とかに夢中で全然ちまりの気持ち気付いてくれないの」
「………」
「何度もバレンタインデーにチョコあげてるし、頑張って手を繋いだ事もあるし、好きだって言った事もある…」
全部知っている。
ぼくは神姫だったから彼のそばにいつもいて、ちまりさんがそうして彼にアタックを続けているのはずっと知っていた。
「それでね…今日で最後にしようと思うの…」
「え…?」
「悟くんを好きでいること…」
ちまりさんが何を言っているのか、ぼくにはすぐには分からない。
ちまりさんは俯き、必死に涙を堪えながら笑顔で話しを続ける。
「今日、最後の告白をしようと思って、悟くんに会いに来たの…でも…」
「ちまりさん! まだ諦めちゃ…諦めちゃダメですよ!」
ぼくは一体何を言っているんだろう。
ちまりさんがこのまま彼の事を諦めてくれればと、昔から何度も思っていたはずなのに。
「まだはっきりと自分の気持ち、伝えたわけではないでしょう?」
「…え、えと、うん…」
「それなのに早過ぎます…諦めちゃうなんて…ぼくだって…」
自分の抑えていた気持ちが溢れ出しそうだった。
それをどうにか抑えて、ちまりさんの事だけを考えた。
「ありがとう、梨乃ちゃん…梨乃ちゃんに話してよかった…」
ちまりさんは堪えていた涙をボロボロと零している。
ぼくはエプロンのポケットに入っているハンカチで、ちまりさんの涙を拭ってあげた。
「泣き顔似合わないですよ、ちまりさん…悟さんに気持ち伝えるなら、笑顔じゃないと…」
「ありがとう…ありがとう…梨乃ちゃん…」
ちまりさんの泣き顔はだんだん笑顔に変わる。
「ちまり、今日悟くんに告白する…悟くんが戻るまで待ってみる」
「悟さんはいつ戻るかは、はっきり分かっていませんよ…?」
ちまりさんは元気を取り戻すと、彼の机にあるメモに公園の名前と時間を書き出す。
「これ、悟くんが帰ってきたら渡してもらってもいいかな?」
ちまりさんは書いたメモをぼくの手に握らせた。
「梨乃ちゃん、迷惑かけちゃってごめんね…今から準備してそこで待つね」
ちまりさんは申し訳なさそうにぺこりと頭を下げると、そのまま嵐のように走り去っていってしまった。
ぼくの手には、あの二人の運命がかかったメモが握られている。
きっと、このメモを彼に渡さなければ、ちまりさんは彼を諦める事になるだろう。
でも…でも…
ぼくの心は揺れていた。
ヒューマノイドだという事を今はすっかり忘れている。
「悟…ちまりさん…シュクレ…どうしたらいいの、ぼく…」
神姫でもなく、ヒューマノイドでもなく、ぼくはぼくとして悩んでいた。
そうしている間にも、時間は刻々と過ぎていっている……。
COMMENT