2012年9月26日。
深夜の3時に倒れたちのさんは、救急車で病院に運ばれました。
非常識な時間ではありましたが、倒れたときはちょうど自分も一緒で、自分が家族の方に伝えて救急車を呼んでもらいました。
ちのさんの倒れた原因は脳出血と判明。
脳幹と言う脳の中枢に当たる部分で、お医者さんも
「まず命が相当危険な状態にあり、意識が戻る可能性はほとんどない。
もし戻ったとしても重度の障害が残る可能性が高い。
申し訳ないが、良い話は一つもできない」
という趣旨の説明を受けました。
お医者さんの説明を聞き、あまりの現実離れした状況にいまいち呑み込めませんでした。
その後ちのさんはICUに移動したので、10時ごろに一度面会。
機械に繋がれたちのさんの姿を見ました。
ICUを出てから、ちのさんの大事な友人とツイッターなど思いついたところに連絡。
途中でちのさんのおばさんも駆けつけてくれました。
おばさんは全てが終わるまで一緒にいてくれました。
初めてお会いしたのですが、ちのさんに聞いていたとおりの優しい方でした。
ICU内の個室に移動するとのことだったので、一度ちのさんの家族とともにちのさんの家に帰りました。
その時更新したのが「
ちのさんが倒れました」の記事です。
必要なものを用意して病院に戻り、個室に移動したちのさんと合流しました。
その日のうちにちのさんの古くからの友人が2人お見舞いにきてくれました。
その人たちを案内したりして気を紛らわせたりしてみたり。
その日の夜はちのさんの家族と交代で仮眠を取りつつちのさんの側にいました。
次の日も続々とちのさんのお母さんの友達などが駆けつけてくれました。
ちのさんのお母さんや弟さんのの友達はこれからもひっきりなしに駆けつけて、ちのさんの家族を支えてくれました。
ちのさんのおばあさんなども遠くから来てくれました。
最近会えていなかったので、ちのさんもよく会いたいと言っていたのでちょっと嬉しかったり。
その日の夜は一度ちのさんの家族とともにちのさんの家に帰りました。
その時更新したのが「
ちのさんの現在の容態について経過報告」です。
その日はちのさんの部屋に泊まりました。
その次の日、9月28日は二度目のお見舞いとなるちのさんの友人をお迎えしたりとか。
病室にいらっしゃったかたはわかると思いますが、この方があのアークさん(
写真)の持ち主です。
午前中に来て、夕方7時くらいまでちのさんの一緒にいてくれました。
9月29日には、とりあえず名前は伏せますがブログ関係の友人が2人お見舞いに駆けつけてくださいました。
最初に来てくださった方にはうまく対応できなかったと思うのですが、いつもオフで会うときかのように接して頂き、「ここからブログ関係で来てくれた人には同じように対応しよう」と思いました。
午後にも時間は被らなかったもののもう1人来てくれました。
そちらとも普通におしゃべりをしたり、せっかくだからと写真も撮ったり。
その日の晩辺りからちのさんの熱がかなり上がりはじめました。
9月30日には28日とは違う方ですがまた二度目のお見舞いにちのさんの友人が来てくれました。
午後にはまたブログ関連の方が2人来てくれました。
1人は新幹線で朝早くから駆けつけて頂き、もう1人は雪卯さん用のお洋服を仕立ててきてくれました。
こちらでもオフで話すようなお話をいろいろしたり、下らないながらも面白い話で盛り上がったりとか。
お2人ともあの時の話の内容で後悔していらっしゃったようですが、そんな必要はありませんよ。
ちのさんもきっと混ざりたい話題だったと思います。というか混ざって笑いながら聞いていたのではないでしょうか。
お2人を見送ったあたりでちのさんの呼吸がだいぶ荒くなっていました。
熱も昨日以上に上がっており、家族の皆さんも自分もだいぶそわそわしておりました。
そして、2012年9月30日、ちのさんの呼吸が、心臓が止まりました。
その10月1日にはちのさんは葬儀屋さんの霊安室に移動。
ここまで二度ずつ来てくださったちのさんの友人がお2人とも来てくれました。
片方の方は8月に子供が生まれたのですが、そこでちのさんはその赤ちゃんと初めて会うことができました。
ちのさんのおばあさんもまた来てくださり、ここで初めて紹介されてしまったりとか。
ちのさんは自分と付き合ってたことを割と秘密にしていたので、ちのさんのお母さんと弟さんくらいしか知らなかったので…
まったく、いまさら家族公認になっちゃったよ、ちのさん。
10月2日には、ブログ関連の友人が2人来てくれました。
片方の方は9月30日にも来てくださった方で、また遠くから駆けつけてくれました。
またいろいろ写真を撮ったり、ちょっとおしゃべりしたり。
そして10月3日。
ちのさんの火葬が行われました。
家族の方には自分も家族と同じ扱いをさせて頂き、本当に嬉しかったです。
火葬が終わったあとの骨壷を持つ役も任せて頂きました。
ちのさんとは2006年に専門学校の入学式で出会いました。
学校に入ってから初めて話したクラスメイトはちのさんだったと思います。
女の子とまともに話したことがなかった自分は、すごく緊張したのを覚えています。
その後はもうジェットコースター並みの波乱の連続、とてもブログに書ける内容ではありません。
その前からほぼ付き合ってるも同然でしたが、2006年11月22日に正式(?)に付き合うことになって。
その後も波乱の連続、飽きる暇も無いくらいの波乱の日々でした。
何度も喧嘩もしましたが、結局なんだかんだで仲直りして。
性格も似ているところもあり正反対なところもあり。
ちのさんもそこまでかなり辛い人生を歩んできた方で、自分もその状況から早く救い出してあげたかったもののそれも間に合わず。
その辺の裏事情を知っているだけに、「ちのさんは幸せだったんだよ」という風に言った方が何人かいらっしゃいましたが、それだけは内心相当の憤りを感じました。
自分の知りうる限り、決してちのさんは幸せではありませんでした。
幸せなことがなかったとは言いません。でも不幸のほうが確実に多かった。
知らないとはいえ、それを無視して「幸せだった」というのは、残った側が楽になりたいがための言い訳に過ぎないと思います。
もちろん、そんな風には言わない方のほうが多かったですし、ブログ関連の方にはいらっしゃいませんでしたが。
でも、ブログ関連に関しては本当に幸せだったと思います。
たくさんのプレゼントも頂き、閲覧数を増やす目標は自分たちの想像以上に達成されました。
ちのさんのアイペイントした子も、日本中にたくさんいます。
幸い、アイペし損ねた子などもいません。
雪兎だって、40人もいるのです。
だから、その点に関しては、ちのさんは幸せだったと思うのです。
皆さん、本当にありがとうございました。
今度、機会がありましたらちのさんの神姫を自慢しに、オフ会などにも参加したいと思っています。
こういうことをしているときが、自分にとっては代わらず一番落ち着く時間です。
記事も時期をみて普通に更新を再開したいと思っています。
なので、皆さんもあまり暗くならないでください。
ちのさんのアイペした子、雪兎型などを持っている方は、その子達をこれまで通り大事にしてあげてください。
ちのさんに関する記事を書いてくださって嬉しいですが、早く次の記事に進んでください。
武器を作ってください。アイペしてください。お出かけにいってください。嫁とキャッキャウフフしてください。
ちのさんも、そんな記事を読めるのを楽しみにしておりますので。
しかし、最後の最後もやはりちのさん。
倒れた瞬間、自分も家族も家にいる時。
亡くなったのも、ブログ関連でお見舞いに来てくださった方が一通りくるのを待っていたかのようなタイミング。
そして、兎年で兎と関連深かったちのさんらしい十五夜の夜。
ずっと発売を心待ちにしていたCDも、火葬の日の前日の夕方にぎりぎりで買えたので聞くことができ、その後棺にいれました。
あぁ、やっぱりちのさんは行動が神だったなぁと思いました。
悲しいの状況の中、毎回気がつくたびにちょっと笑顔になれました。
自由に生きれないのが辛いと言っていた彼女ですから、きっとこれで自由になれたでしょう。
なんだか自分の後ろにべったりくっついてそうな気がしないでもないですが、それならそれで一緒にいろんなところに行きましょう。
これまでちのさんが本当に色々とお世話になり、本当にありがとうございました。
さぁ皆さん、普通の更新に戻るんだ。
コメント
親族の方々、ちのさんのご友人方が沢山いらっしゃったのですね。
ちのさんは本当に色んな方々から愛されていた事を感じました。
ちのさんにアイペイントして頂けた子が家に居るのは自分の誇りです。
これからも今まで以上に大切にしていきたいと思います。
お会い出来る機会がありましたら、是非自慢を聞かせて下さい。
こんな自分でよろしければ、これからもよろしくお願い致します。
ならばこちらもぐずぐずしてはいられません。
旅行の記事も早急に取りかからないと。1234
自分もお月様からきっとちのさんが風花ちゃんたちのこと見てくれているんだろうな、と思うことにします。
ブログもたくさん更新して飽きさせないようにしたいなと思います。
ちっぽさんの、また神姫さんたちとの生活の様子を見ることができるのを、楽しみにしています。
PS:あの時のお話は、確かに少々後悔はしましたが、それでもあのひと時はすごく楽しかったです。ありがとうございました。
ちのさんのお見舞いにご親族やご友人、
ブログ関係の方など大勢の方が見えられたのですね。
ちっぽさんとちのさんから頂いた雪兎型の白雪。
そして、ちのさんにアイペイントをして頂いた
アズサとカズサ、鈴葉をこれからも大事にしていきます。
オフ会などでお会いすることが出来ましたら、
ちのさんの自慢をお聞きしたいです。
改めて、これからもよろしくお願いします。
お疲れさま。ちっぽさまご自愛ください。無理だけはしないでください。
>ブログ関連に関しては本当に幸せだったと思います。
ウチのサイトが ちの様の幸せの一助になれていたのなら幸いです。
今は月の彼方から見ておられるであろう ちの様と
ちっぽ様の決意の助けとなるサイトにしていかなければ・・・
今後ともよろしくお願いします。
ちっぽさんは誰よりもちのさんと一緒の時を過ごして、そして
誰よりもちのさんの事を理解してるパートナーだったんだなぁっと改めて感じますね・・・
自分も伺わせて頂いた際にちっぽさんがいつも通りの対応してくださったので
調子に乗って失礼な言動等もあったやもしれません・・・
ちっぽさんの方が自分よりお若いのにずっと大人で、我ながらお恥ずかしい限りで・・・
でも自身も吹雪さんと同じく不謹慎かもしれませんがあの時ちっぽさんとお話できたのは
とても楽しかったです。逆にこちらが力を頂けたようでした
自分も自粛ムードになってしまうのはよくないとは思いつつクヨクヨしちゃってましたが
そんな事じゃいけないですよね。
大したことは出来ませんがいつも通りの更新が出来るよう心がけます。
ちっぽさんも、またなすへちまさんの神姫さん方もいつもの様子を拝見できるのを楽しみにしております。