はるか昔、一年のほとんどが銀世界のシルバー国という王国がありました。
雪は白く冷たいですが住んでいる人々の心はとても温かいです。
そしてそれは、この国の王女・セレニティアも例外ではありませんでした。
一月後に15になるセレニティア姫は温かい心を持ち、人々を分け隔てなく愛す姿から国中全ての民衆に愛されていました。
そんなある日、心優しき姫に父親である国王から残酷な言葉を告げられました。
「姫よ、お前ももうすぐ15になる…お前の母さんはお前と同じ歳にはもうわしと結婚していた…そろそろ分かるな?」
「待って下さい…私にはお慕いしている殿方が…」
「心配は無用、お前に相応しい相手はもうここに呼んである…」
一人焦る姫を置いてけぼりにして、国王はある人物を招きました。
「失礼します……このお方がセレニティア姫ですか、なんと美しい!」
やってきたのは隣国、ブロンズ国の勇者・イサエルでした。
イサエルは姫より少し年上で顔立ちもよく、とても勇ましく姫の相手にはこれ以上ないくらいの男です。
それは姫が密かに恋心を抱く相手ではありませんでした。
「イサエル、お前の活躍は聞いておる…隣国に現れた魔王とやらを征伐したようじゃな」
「いえ、私の力だけではありません…私を支えてくれる勇気ある仲間たちがいてこそ…だから魔王を征伐する事が出来たのです」
隣国では英雄と崇められている彼でしたが、とても謙虚で驕る気持ちなどない男でした。
国王はそんな彼を見て嬉しそうにこう言いました。
「イサエル、どうかこんな姫を貰ってやってくれ…もうじき15にもなるのに恋一つしないような娘じゃ、お前のような勇気ある者と結ばれてほしい」
「お父様…!」
「そんな…私が姫様の夫になるとは、なんと恐れ多い…」
結局、姫の気持ちなど置いてけぼりで、シルバー王国・王女セレニティアとブロンズ王国・勇者イサエルの縁談は決まってしまったのです。
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「ひくっ…えぐ…」
「どうなさいました、姫?」
縁談が決まってからというもの、姫は毎晩密かに涙を流していました。
今晩はついに部屋にやってきた勇者イサエルに気付かれ、後ろから抱きしめられます。
「やめて下さい…私は…」
「姫、まだ私の事を愛して下さってないのは当然な事だと思います…しかし、それは結婚後に少しずつ育んでいけばいいのだと思います」
「しかし…私はまだ14です…結婚など早過ぎる…」
「あなたのお父様の判断に間違いはない、あなたほどの美しく心も清らかな人が結婚が早いなら他の者たちは一生結婚できませんよ?」
姫は何も言えませんでした。
ただ、目の前にはいない想い人を想って泣く事しか出来ません。
「お母様…私はどうしたら…」
小さな声で一言、彼女は今はこの世にはいない自分の母親に向かって尋ねました。
しかし、答えなど返ってくるはずはありません。
姫の部屋のバルコニーから見える月は、気味が悪いくらい朱に染まっていました。
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姫とイサエルの結婚式も翌日に控えた今日、街はとても賑わっていました。
人々に愛される心優しき姫と隣国の勇者が結婚するのです。
雪ばかりでなかなか楽しみもない国民にとっては、これ以上ないくらい幸せな事です。
「お父様…私は本当に…」
あと少しで完成する所の純白のウェディングドレスに身を包んだ姫は、嬉しそうにその光景を見ている国王…いやたった一人の家族である父親に尋ねました。
「よく似合っているぞ、セレニティア…まるで母さんの若い頃を見ているようだ…世継ぎが見れるのが楽しみだな」
目に涙を溜めて自分を見ている国王は、昔の優しいお父さんに戻っていました。
国王は姫が生まれた直後に妃が亡くなった後、人が変わってしまったように冷たい人間になってしまったそうです。
それは姫の乳母から聞きました。
姫に対してはそれなりに優しくしてくれていた父も、ひとたび国王の顔に戻ると冷たい人間だと…
姫が女としての一歩を迎えた頃、国王はもう世継ぎの事しか考えていませんでした。
「失礼します…おお、なんと美しい…この世のものとは思えない美しさ!」
やってきたのは姫の相手となる勇者イサエル、まだ完成しきってない姫のウェディングドレス姿を見てあまりの美しさに溜息を漏らしています。
「もうじきこの姫がお前のものとなるんだ、元気でたくましい世継ぎを頼んだぞイサエル!」
「は、はい…かしこまりました!」
そんな二人を見て周りにいた使用人や護衛たちは楽しそうに笑っています。
姫だけは笑う事が出来ませんでした。
「ドレス、完成しました!」
姫の足元にいた使用人が笑顔で皆に聞こえるような大きな声で言いました。
もう後戻りは出来ない…姫は覚悟を決めるしかありませんでした。
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---その夜。
今夜もいつかのように月が真っ赤に染まっていました。
暗闇に浮かび上がる朱は、姫の心をさらに不安にさせました。
「明日が結婚式なのに…早く寝ないと…」
バルコニーで夜空を見ていた姫は、身震いしながら慌ててベッドに入り目を閉じました。
「ガタッ…」
何かが開く音がして姫が目を開こうとすると、いきなり体をすごい力が圧迫してきました。
「これは…!? う、動けない…!」
視界まで塞がれていてどうしても何か確認する事すら出来ません。
そんな中、獣のうめき声のような恐ろしい声がしました。
「これはこれは美しい姫だ、あいつにはもったいないのう…」
恐ろしい声はだんだん近付いてきます。
そして、姫の頬にぬるりとした物があたりました。
「ひっ…!」
「良い味じゃ…これは見事な一品…」
変に温くぬめりのあるそれは、姫の頬だけではなく全身をはい回り…
「ここか…姫、今いきます!」
獣のうめき声を聞いて、駆け付けてきたのは勇者イサエルでした。
イサエルは鍵のかかった扉を蹴り開け、剣を振り回すような音が姫には聞こえました。
「イサエルよ、このわしが簡単に人間なんぞに倒されると思うか?」
「姫を今すぐ放すんだ! この汚らわしい魔王!!」
その言葉に姫の体はさらに恐怖で硬直しました。
逃げる事も叫ぶ事も出来ず、姫はただ助けてと強く願うだけでした。
「勇者イサエルよ、姫を返してほしくば我が城に来る事じゃ…まぁ、お前があまりにも遅かった場合はこの姫はわしの胃袋の中じゃろうけどな…ははは」
「姫を返せぇっ!!」
勇ましく飛び掛かる勇者イサエルでしたが、姫と魔王は一瞬にして姿を消してしまいました。
「くそっ……魔王っっ!!」
イサエルは悔しそうに壁を殴りつけました。
真っ暗な姫の部屋には花嫁の姿はありません。
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いつの間にか意識を失っていた姫は、真っ暗でベタベタぎとぎとする牢獄に入れられていました。
ようやく目を開けてみれば、この世のものではない悪魔が姫が逃げないよう監視していました。
「私は……ああ、お父様、お母様…助けて!」
ようやく声を出す事が出来た姫は大きな声で声を上げて泣きました。
姫の泣き声はどこにも届く事はありません。
「姫よ、今日結婚式だったそうじゃな…それをぶち壊された気持ちはどんなもんなんだ?」
姫の牢獄にすっと姿を現したのは監視の悪魔たちより何倍も大きい悪魔…いや魔王でした。
魔王は長い爪を生やした大きな手で姫を鷲掴みにし、長い長い舌で姫をぺろりと舐めました。
「や、やめて…私の結婚などどうでもいい…でもお父様やお城の皆さん、国民の皆さんが悲しむわ…」
「なんと優しい心を持った姫じゃ、これはズタズタに切り裂いて食べるのが楽しみで仕方なくなるのう」
姫を掴んだ魔王は今度は一瞬にして自分の部屋に連れていきます。
血のような赤で埋め尽くされた部屋には、人間のものと思われる骸骨がたくさん転がっていました。
「若いおなごほど旨いものはないな…それもこんな高貴な存在である一国のお姫様がわしの胃袋におさまるなんて」
大きな口をニヤッとさせた魔王からは、大きな大きな牙が覗いています。
あんな大きな牙で体を貫かれたらと考えるだけで目眩がしました。
「お願いします…私のことはどうしてくれても構いません、しかしあの国だけはどうかお見逃し下さい…」
「ほほう、姫にして勇気も持ち合わせているとは本当にあやつにはもったいない…」
姫は恐怖に震えながらもそれだけは必死に伝えました。
なんだか分からないけれど、話せば聞いてくれる相手だと思ったのです。
「まあよい…おぬしがわしに大人しく食べられてくれるのならば、あの国には手を出さないでおこう…しかし、あの勇者と共にここへ来た場合は容赦はしない」
姫は目の前が真っ暗になるような気がしました。
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あれから数日、魔王はまだ姫を食べてはいませんでした。
「あの…私の国は大丈夫でしょうか…お父様や皆さんは…」
「オレシラナイ、ダマラナイナラ、マオウサマニイウ」
牢獄に戻されていた姫は監視役の悪魔に尋ねましたが、ろくな答えなど返ってきませんでした。
「こうなれば……あの、魔王さんを呼んで下さい、お話しがあります!」
姫はもう覚悟を決めていました。
こうなってしまうなら、もっと早く結婚してお父様を喜ばせてあげたかった…姫は牢獄にいる間ずっと後悔ばかりしていました。
「魔王さん、お願いします…私を早く食べてしまって下さい、そうすれば私の国には手を出さないでくれるでしょう?」
「もう遅い…奴らはわしの城の近くまできておる…」
「だったら早く…私、死ぬ事なんて怖くありません!お願いですから早く!」
姫は焦っていました。
早くしないと自分の国が魔王たちの手によって滅ぼされてしまう。
過去に魔王に襲われた国のほとんどは魔王軍によって滅ぼされました。
勇者イサエルの国、ブロンズ王国を除いて。
「わしはお前が泣いているのが嫌じゃった…結婚が決まってから毎晩お前は泣いていたな…」
「え…!?」
驚きました。魔王がそんな事を言うなんて。
これが魔王の罠だったとしても、姫の心はここにきて初めて大きく揺さぶられていました。
「わしはお前の国を襲うつもりでいた、月の力を使ってあの国を見ていた時お前が泣いているのを見つけた」
確かに姫の結婚が決まった時から、月が朱く染まる事が多くなっていました。
まさか…と姫の心は大きく高鳴ります。
姫が小さな頃、同じように月が朱く染まる夜がありました。
その時も部屋にあの時と同じように何者かが入ってきて…
まだ小さかった姫には何が起きたのか分かりませんでした。
目が覚めた時には、目の前に何人かの男たちが血を流して倒れていたのです。
そして、黒い大きな影が…
「子供が出歩いて良い時間じゃない…早く帰りなさい」
その声が聞こえた瞬間、姫はベッドの中にいました。
その後、少し成長してから乳母に聞いた時、プラチナ国から雇われた輩に姫がさらわれて殺されかけたと聞き、あれは夢ではなかったのかと思った記憶が蘇りました。
「あなたはあの時の…」
姫は魔王を見て思い出しました。
あの時助けてくれたあの黒くて大きな影が目の前の魔王だったと…
自分が長らく恋していた初恋の人だったと、ようやく気が付きました。
「お前をかみ砕いて食べてしまいたい気持ちはある…しかしお前をいざ目の前にするとなぜか心が痛む…こんな気持ちは初めてじゃ」
「魔王さん、私…子供の頃からずっとあなたに恋してた…だから遠慮なく私を食べて下さい、本当は少し怖かったけどもう迷いはありません」
姫は魔王の大きな手に自分の小さく白い手を重ねました。
その顔にはもう迷いはなく、とても嬉しそうです。
「わしは…お前を食べたくはない…お前ともっとずっと一緒に…」
「魔王さん…」
二人の心はもう一つでした。
お互いの見た目に差はあれど、二人は今はただの男と女。
「マオウサマ、イサエルドモガシンニュウシマシタ!」
愛し合う二人を引き裂いたのは、勇者たちの足音でした。
「セレニティアと言ったな…もう逃げてよいぞ、お前はもう自由だ…好きに生きるがいい」
「魔王さん、私は…!」
「わしにはやれねばならん事がある…魔王としての義務が」
魔王は大きな体を翻し、そのまま姫の前から姿を消しました。
一人取り残された姫の耳に、魔王として勇者に挑む彼の声が聞こえてきました。
「勇者イサエルよ、今度こそはお前を死の淵へ叩き込む!」
「魔王、今度こそは征伐してくれるっ!!」
姫が魔王を追いかけて部屋を出ようと走りますが、それは先程やってきた悪魔に止められて…
「ハヤクニゲロ、アノニンズウはサスガのマオウサマでもムリダ…」
悪魔は姫を城の外へ連れていきました。
城の入口からバタバタと出てくる勇者軍の一行たち。
それからしばらくして魔王の城が火に飲まれてしまいました。
空を飛んで逃げる悪魔たち。
そのうち、魔王と戦っていたと思われる魔法使いや女戦士たちが出てきました。
「いや…いやぁ! 魔王さんは…魔王さんはどうなったの!?」
姫はあまりの絶望にそのまま泣き崩れました。
そこへ疲れた表情でやってくる勇者イサエル。
「姫、なんとか魔王を征伐しました…今回は確実にしとめました、あの炎の中じゃたとえまだ生きていたとしても持たないでしょう」
「魔王さん…魔王さん…私は…」
イサエルは姫の目線に合わせるためにしゃがみ込み、彼女を強く抱きしめました。
「いやぁ…魔王さん…魔王さん…死なないでぇ!」
「姫、あいつは世界の敵です、落ち着いて下さい!」
姫は一瞬の隙をついてイサエルの剣を奪いました。
真っ赤に染まったその剣は魔王の匂いがしました。
「姫、何してるんですか…やめて下さい!!」
「魔王さん、今あなたの元へいきますね…つぎ生まれ変われたら今度は二人ずっと一緒に…」
魔王を貫いた勇者の剣は、姫の自身の手によって今度は姫を貫きました。
ポタポタと姫の体から赤が流れ落ちます…それはやがて魔王の血と交ざり合って…
「姫…姫……うわああぁあぁ!」
冷たくなっていくセレニティアの体…イサエルは真っ赤になりながら彼女を強く抱きしめます。
勇者は確かに世界を救いました。
しかし、彼が本当に救いたかった姫は平和になった世界にはもういなくなってしまいました。
冷たくなった彼女は笑顔で眠っていました。
来世で愛する人と出会い結ばれる事を願って……
おしまい
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