「くっ……はぁ…はぁ…」
かつて魔王を倒した勇者・イサエルは逃れようのない悪夢に毎晩うなされていました。
あれからもう何年も経っているはずなのに…
彼には彼の父と同じような栄光は与えられず、魔王と呼ばれ人々に恨まれ憎まれた事もあります。
「ただ…ただ私は愛する人を救いたかった…それだけなのに…」
今でも鮮明に思い出されるその記憶は、かつての勇者を苦しめ続けていました。
「あなた…今夜もまたあの夢を…?」
「ああ…私は姫を助けるために魔王を倒しただけ…それだけなのに…」
「あたしはあんたが悪いとは思ってないよ、あんたはあの国を魔王から救った…それなのにあの国のやつらは…」
かつての勇者は魔王から救った国を離れ、遠く遠く離れた土地で新しい家族と共にひっそりと暮らしていました。
「ん…お父さん、お母さん、どうかしたの?」
「すまない、また起こしてしまったようだねローラル…」
イサエルには彼を理解してくれる妻との間に娘もいました。
娘であるローラルは父がかつて勇者だった事、父の家系が代々魔王を倒す勇者の家系であった事を知りません。
「ほらほらあたし達は大丈夫だから、早く寝なさいローラル」
「はーい、お母さん…」
イサエルは大切な娘だけにはどうしても知られたくはないと思っていました。
もう誰も辛い思いなどさせたくないと…彼はそれだけを願って愛する家族と共に静かに暮らしていました。
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「お父さん、今日はおいしい牛乳買えるかな?」
「そうだな、今日もあの牧場の牛乳が市場に残っていればいいが…」
イサエルと娘ローラルは毎週末に、何時間か歩いて街へ買い出しに来ていました。
何もない森小屋に暮らしているローラルにとって、父と街へ出る事は唯一の楽しみでした。
「うわぁーー大変だぁーー!!」
「悪魔が…悪魔が出たぞー!!!」
もうじき市場へ着くという所で、街では大変な騒ぎが起きていました。
人々は騒ぎ逃げ惑い、その中心には黒い翼を広げた悪魔が街娘を抱え人々を襲っていました。
「早く言うんだ! この街の中に次のお前の婚約者がいるはずだ!」
「もうやめて下さい…私が憎いなら私を殺して…」
黒い翼を広げた悪魔は槍を振りかざし、ひたすら若い男を捕まえては声を荒げ娘に何か聞いています。
「大変だ…お前は早く逃げるんだ、ローラル!」
「お父さんは…お父さんはどうするの!?」
「早く行けっ、ローラル!!」
父は娘ローラルを突き飛ばし、悪魔がいる方へ走っていきました。
「お父さんっ、お父さんー!!」
ローラルも慌てて父を追いかけようとしますが、逃げ惑う人々の波に揉まれうまくいきません。
「この醜い悪魔め…その娘を放すんだっ!」
「これはこれは威勢の良い男だ…こいつがお前の婚約者か?」
「来ないで下さい…私に構わず逃げて!!」
イサエルは市場で売っていた剣を奪うと、そのまま悪魔の元へ向かっていきました。
「ふっ…こいつは違うようだな…だが、私の邪魔をする奴は許さん!!」
悪魔は娘を突き飛ばすと、槍を構えイサエルの攻撃を防ぎました。
「お前…ただの悪魔ではないな…!?」
「ほう…そんな事が分かるお前こそ何者だ…!」
「くっ…この力では…」
かつての勇者であるイサエルでも、衰えてしまっていては相手の力をおさえる事は難しい事でした。
「顔をよく見てみれば…貴様は勇者…勇者イサエルではないか」
「違うっ…私はイサエルではないっ!!」
イサエルは力いっぱい相手の槍を払い、隙をついて剣を振るいます。
「貴様が姿を消してから何年経ったと思ってる…老いぼれ勇者はさっさと消えろ!!」
悪魔はイサエルの足を蹴飛ばして倒すと、勢いをつけて彼の胸に槍を突き立てました。
「ぐうっ……」
鮮血を吐くイサエル、このまま負けてたまるかと彼は最期の力で剣を悪魔に向かって投げつけます。
「っ……やるなぁ、勇者イサエル…この私を本気にさせるとは!!」
自分の翼を傷付けた剣を拾い、悪魔はその剣でイサエルの反対側の胸を突き刺しました。
「お父さん…お父さんっっ!!」
人の波を掻き分けてようやく父の元へやってきた娘ローラル。
しかし、先程まで元気だった父はもう力なく倒れています。
「く、くるな…ローラル…!」
「お前の娘か、イサエル…こいつはいい…勇者様の無様な死に顔を見せてやるといい…くく」
悪魔は娘ローラルの登場を見て馬鹿にしたように笑いました。
「すまないな…ローラル…愚かな父で…」
「お父さんっ…お父さぁぁぁん!!」
ローラルの目の前で父は静かに息を引き取りました。
まだ幼いローラルは真っ赤に染まった父に抱き大きな声で泣きます。
「愚かな父親だ…まだまだ勇者気取りでいるからこうなるのだ…」
「お父さんを…お父さんを返せぇっ!!」
ローラルは父を貫いていた剣を取り、高笑いする悪魔へ向かって重たすぎる剣を振るいます。
「勇者の娘よ、私は魔王アスモデウス…仇が討ちたくば父親以上に強くなる事だ…ふははは」
翼を広げたひょいと空を舞う魔王アスモデウスは、大きく高笑いしながら姿を消しました。
「くそ…くそう…お父さん…お父さぁぁん!!」
いつもは賑やかなはずの街も今は誰の姿もなく、ただただ娘ローラルの泣き声が悲しく街中に響き渡りました。
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「あの子、勇者イサエルの娘だったのね…」
「可哀相だわ、父親が国を追放された勇者だったなんて…」
「魔王を倒したのはいいが、お姫様も死んじまって大変だったらしいぜ…」
「可哀相…」
「かわいそう…」
「可哀相だぜ…」
冷たくなった父を引きずりながら、歩く娘ローラルは街の人々に嫌な視線を向けられていました。
「お父さん…私がお父さんの仇を…魔王をみんなやっつけてやるから…」
ローラルの耳には街の人々の声など聞こえていませんでした。
その小さな胸に灯るのは魔王への復讐心のみ……。
おわり
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