目を覚ました時、そこは見慣れない部屋だった。
自分の格好、腕に刺さっている点滴を見れば、ここが病院だという事はすぐ分かった。
「お花のお水変えなきゃね…って、お兄ちゃん!?」
病院の奥の方から花瓶を持った抹黄が現れた。
「お兄ちゃん…ようやく目が覚めたのね…よかった…」
抹黄は目に涙を溜めて嬉しそうに俺の顔を見ている。
「赤哉さん、もう一週間も眠りっぱなしだったのです!」
抹黄の肩に乗っているリーシャも俺を心配そうに見ている。
「一週…間…?」
「そう、一週間…クリスマスイブの日に事故に遭ってから、お兄ちゃんは一週間も眠ったままだったの…」
「おかげで心配しすぎた、おばあちゃんが寝込んじゃっておじいちゃんが看病してるのです!」
そんな事になっているなんて全く知らなかった。
混乱しっぱなしの俺の頭は、ある事だけが気がかりでならなかった。
「おい、抹黄…時雨はどうなったんだ…時雨は大丈夫なのかっ!?」
「お兄ちゃん、病み上がりなんだから無理はダメよ…」
ベッドから起き上がり、布団を跳ね退けようとすると抹黄に止められる。
「私はこれからお兄ちゃんが目を覚ました事を先生に伝えてくるから、大人しく休んでて…ね?」
抹黄はそう言うと、そそくさと病室を出ていってしまった。
「医者ならナースコールで呼びゃいいのに…」
あの抹黄の様子は、これ以上話しをしたくない時の様子だ。
「時雨のことを話したくない…なぜ?」
何だかとても嫌な予感がして、冷や汗がつうっと背中を落ちた。
「まさか…な…」
最悪の事態を考えただけで、頭がおかしくなりそうだった。
自分なんかの事よりも、本当に時雨の事が心配でならなかった。
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「父さん…シュクレの様子は…?」
僕は信じられなかった。
今もなお、目を覚まさないシュクレに。
体は父さんの迅速な処置により、完璧というまでに直っていた。
しかし、一向に目を覚ます気配がない…
「見て分かる通り、体は完璧に直っている…だが記憶装置まで破損していたから、もう今まで時雨くんとして目を覚ますかどうか…」
「そんなのやだよ! 社長、どうにかならないの!?」
父さんの言葉に、ヒューマノイドのシュクレの手を握っている神姫のルセルが叫んだ。
「私だってどうにかしてやりたいさ…でも! 人間には限界ってものがある…」
父さんは悲しそうに声を荒げ、必死にパソコンの画面と格闘している。
こんな父さんを見る事なんて久しぶりだった。
父さんも相当苦しいのだろう。
「お兄様、いま抹黄さんから連絡があって赤哉さんが目を覚まされたと…」
受話器を片手に父さんの研究室に入ってきたのはレイニーさん。
とても複雑そうな顔をしている。
それもそうだ、この事実を彼にどう伝えたら…
「左藤時雨は彼女本人として目を覚ます確率は低いのだろうか…?」
そう言ってやってきたのは、赤哉の神姫であるリプカだった。
彼女は赤い髪をなびかせ、とても神妙な面持ちで答えを待っている。
「確率はと聞かれれば、極めて低い…せいぜい1パーセントにも満たないだろう…しかし…」
「1パーセントもあるのだな…?」
リプカの表情が少しだけ柔らかいものになる。
「ああ…彼女が助かる可能性はゼロではない」
「それを聞いて安心した…それなら我が主、赤哉もその1パーセントにかけるというだろう」
僕は父さんとリプカの会話を聞いていて、少し違和感を感じていた。
「しかし、赤哉くんはまだシュクレの正体を…」
「それがどうした?」
リプカはそう反論する僕の言葉を封じた。
「赤哉もすぐには全てを受け入れる事は出来ないだろう…だが、奴は全力で左藤時雨を愛している…その気持ちに偽りがないなら、いつか越えられる壁だ」
「でも、もしシュクレが左藤時雨として目を覚まさなかったら…」
「赤哉はいつかこう言っていた…どんな時雨でも時雨だと…それが答えではないのか?」
リプカの落ち着いた言葉にはとても安心感があった。
彼の神姫であるリプカがここまで言うのだから、僕たちは後は信じていればいいのだろう。
「悟、リプカの言葉を信じよう…私たちに出来る事はやった、後は二人次第だ…」
父さんに肩を叩かれ、ようやく僕の不安も全て消えた。
「シュクレだってそれを望んでるはずだよ、赤哉が迎えにきてくれるって信じてる」
双子の姉のルセルがそう言うのだから、確かだろう。
「ほら皆さん、いつまでも暗い顔してないで…紅茶でも飲んで落ち着きましょう」
いつの間にかレイニーさんが紅茶をいれて持ってきてくれていた。
「信じるよ、君たちを…赤哉くん、シュクレ…」
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「おい、抹黄! 答えろって言ってんだろ!」
俺は病室に戻ったきた抹黄に問いただす。
「お兄ちゃん…私からは言えないよ…」
抹黄は一向に口を閉ざしたままだ。
こいつがこうして意地を張っている時は、どんな事があっても簡単にはいかない。
「頼むよ…俺にはあいつが…時雨が必要なんだ…」
一時間くらいこうして抹黄と格闘していた。
ついには俺の瞳から涙がこぼれ落ちていた。
「シュクレさんは…無事なのです…でも目を覚まさないのです…」
「リーシャ、駄目…!」
「オーベルジーヌ社で眠ったままなのです…どうか助けてあげてほしいのです…」
俺の涙が伝わったのか、マスターの言う事を無視してリーシャが話してくれた。
時雨じゃなくて、シュクレと呼んでいたのが気になるが…
でも、今はそんな事を気にしている場合じゃない…!
「時雨、今すぐ行くからな…!」
俺は腕についていた点滴を外すと、布団を跳ね退け裸足のまま走っていく。
時雨が無事だと聞いて安心した…
今だ眠ったままと聞いていたが、生きていてくれたならもう何でもいい。
「赤哉さん…乗って下さい!」
病院を飛び出した時、ちょうど良く一台の車が止まりそこには見知った姿が…
「レイニーさん、ありがとう!」
時雨、今すぐ会いに行く。
俺にはお前がいないと駄目なんだ。
どんな時雨でも時雨は時雨…どうか側にいさせてくれ…
オーベルジーヌ社に到着し、時雨の姿を見た俺はとても驚いた。
俺と時雨にとってこれから長い長い戦いが待っているのだ…。
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